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【チームirodoriメンバー紹介Vol.10 池尻浩子】だれか1人でも可能性を信じてくれる、その尊さを知っているから-心に嘘をつかず着実に進む
これまでのお仕事を教えてください。
新卒で教育出版会社へ就職後、ベンチャー企業で10年、大手鉄道会社の系列会社で3年勤め、2022年5月からirdori Branding(以下irodori社)へ入社しました。
新卒で入社した会社は「人」が入社の決め手だったそうですね。
就職活動では「こういう業界へ行きたい」「こういう仕事がしたい」という希望は特になくて、合同説明会で出会った教育系の出版会社に決めました。
その会社に惹かれたのは、人事の女性から「自分の会社が大好き」というのがすごく伝わってきたからなんです。
彼女が全力で目の前の人に心をうつして笑顔で話している姿に「こういう人がいるところで働きたい!」と思って。
やらされて仕事をするんじゃなく、思いを持って仕事をしているところがかっこいい!と感じました。
そもそも学生時代に、ミニバスや陸上、部活のマネージャー、アルバイトとそれなりにいろいろやってはいたんですが、夢中になれたことがなくて。
ずっと「何かに熱中したい」という欲求はあったけれど、なかなかコレというものに出会えなかったんです。
なので、「入社したら夜遅くなることも多いしハードな仕事だよ」と人事の方から聞いても「むしろ、頑張れる環境があることが嬉しい!」と、学生としては珍しいタイプだったと思いますが、そんな環境を欲していたんですね。
仕事に居場所を求めた理由があったのでしょうか?
私の育ってきた環境が大きく影響しているかなと思います。
山口の田舎で育ち、両親は喧嘩が絶えず、父が精神的な病気を患っていたこともあり、母もいつもどこか余裕がないような状態でした。
私は親の地雷を踏まないようにいつも顔色ばかりみて、手のかからない素直でいわゆる”いい子”。
学級委員をやったり部活では常にキャプテンだったりと、長女気質で周りの面倒見もよくしっかり者でした。
本当は両親も友達も大好きで、深く関わりたいという気持ちがあったのだと思います。でも、自分を出すのがこわくて、両親の葛藤を受け止められる自信もなくて、どこか距離をとって当たり障りなく過ごしていたんですよね。
それが、きっと虚無感というか居場所がないような感覚に繋がっていたのだと思います。
入社後は、親子をつなぎ、子どもたちへ未来の選択肢を示す役割にやりがいを感じたと伺いました。
そんな背景があって、入社した会社のあたたかく面倒見のいい雰囲気が嬉しくて。
飛び込みの営業だったので、入社時に30人いた同期は半年後3人になるような、大変な仕事でした。
ただ離職率は高かったけれど、社員1人1人を仲間として大切にしてくれる社風で、毎日飲みに行ったり、営業のロールプレイングに先輩が遅くまで付き合ってくれたり。
それに、仕事の中身にも私はやりがいを感じていました。
高校生向けに進路相談と教材の販売を担当していた時は、親御さんとお子さんと両方のお話を聞きながら、私からも進学の選択肢や進学先によってその後の未来も変わってくることをお話していました。
親御さんは、勉強に対してやると口では言ったのに結局やらなかった子どもに裏切られたという感覚と、もう一度信じてみたいという気持ち、両方で揺らいでいました。
お子さんのほうは、親には反抗しながらも本当は夢があったり、頑張りたい気持ちがあったり、進路への不安があったり……。
私はこうした本音を引き出し、親と子の橋渡しをし、未来について考える機会を作れるこの仕事にすごく意義を感じていました。
私自身がこういう人に出会いたかったのが大きいかもしれません。
中学生や高校生の頃に「自分の気持ちを考える機会」や「進路選択による未来への影響や広がり」を共に真剣に考えたり熱く語ったりしてくれる人がいたら、すごく救われただろうな、もっと考えて自分の意志で進路の選択ができたんじゃないかって、そんな思いで働いていました。
そして7年その会社で働いた後、自分に目をかけてくれた上司が新しく会社をおこすことになり、そのベンチャー立ち上げに参加しました。
大好きな仕事と仲間と、離れるまで……どのように変化していったのですか?
上司や仲間と立ち上げたベンチャー企業は10年勤めました。
大小様々な葛藤はありながらも、会社を離れるという選択肢は全くなかったんですよね。
「仕事や仲間がすべて」のような感覚で、採用人事や新規事業開発に携わり、毎日やりがいがあったので。
ただ、出産してから少しずつ自分の中で違和感を感じるようになりました。
女性社員では自分が最年長で、女性として目標とする人がいない状態。
自分が頑張ることで、営業を頑張っている若い女性社員たちの将来像というか、ビジョンになったらいいなというモチベーションで自分を鼓舞してきました。
でも営業メンバーが夜9時や10時と遅くまでいるのに、私は夕方5時には帰らないといけない。
20代のメンバーたちの著しい成長を感じる一方、自分は最前線では働けていない分、成長が止まってるような感覚がありました。
このまま自分の成長が止まってしまったら、この会社に居場所がなくなってしまうんじゃないかという焦りもあって。
というのも、当時は出世や評価されるということに存在意義を感じていたんですね。
でも、いつの間にか心がついてこなくなり、どこか人の言葉を借りて自分が話していて、自分の言葉で自分の思うことを伝えることができなくなっているもどかしさを感じていましたね。
自分の強い思いで仕事してると思ってきたのに、いつの間にか自分というものがなくなっていて、表面的な言葉を発してる状態でした。
そして、違和感がずっと拭えず負のループからどんどん抜け出せなくなっていきました。
社会人になってからずっと、家族以上の存在として、会社と会社の仲間がすべてと思って走ってきたのに、当時こうした心のうちを打ち明けることはできなくて。
自分でしか自分を助けられないんだなと自覚したときに、「評価や誰かに依存するのではなく、自分の足で立ちたい」と思い、辞めることを決めました。
ナチュラル・ブランディングとの出会いはSNSだそうですね。
irodori社のさっこさん(小松紗貴子)の「丸腰の『ただの私』になりたかった」というSNSの投稿を偶然目にし、ナチュラル・ブランディング(以下NB)を知りました。
当時、ベンチャーを辞め大手鉄道会社の広報・マーケティング部に転職して1年経ち、とてもいい会社だしやりがいもそこそこあるものの、「ずっとこの会社にいたいか」というと少し違うとも感じていたんです。
ちょうどいくつか起業塾について調べていたタイミングでさっこさんの投稿に出会い、irodori社の、アットホームな雰囲気なのに受講生の実績に繋がっている世界に惹かれて学ぶならここだと、2020年8月からNB実践講座を受講することに。
NBで学んでいた期間は会社員をしながら、いろいろ試してみました。
個人として初めてのお仕事は3000円をいただいてインタビュー記事を書いてみたこと。
その後はエステサロン経営をしていた友人からの相談を受けて、職人肌の人たちがやっていることを形式化してスタッフ誰もが同じようにできるように仕組み化したり、企業の社内研修として、部門長の方の感じている仕事の価値やミッションを咀嚼して言語化し行動の指針としてその部のメンバーたちへ伝えたり。
その都度ご縁があったものを、私にできることはなんだろうと考えてサービスにしていました。
肩書きに関係なく、自分に価値を感じてもらって対価をもらうことがすごく嬉しかったですね。
どのお客さまとも、ある意味”仲間”としてしっかり関わって仕事をしていましたが、自分のサービスをどんどん広げていきたい!とまではモチベーションは上がらずでした。
会社員としての仕事のほうも、副業をいろいろやってみながら見つめ直していました。
それまで仕事は生活の一部、というより生きる重要な一部だった私にとって、ベンチャーを辞めて転職後は、仕事とプライベートがきっちりわかれていることが、楽でもあったけれどどこか心に穴が空いているような状態で。
気持ちをそこまで傾けていなくても仕事ができちゃうんですよね。
でも、毎日通勤含めて10時間近くそこに費やすと考えたら、「私の人生、このままでいいのかな」と感じ始めて、改めてあと10年続けてたいとは思えないなと感じました。
ちょうどその頃、当時小4の長男が、反抗期と合わせて家出してしまうのが続いていました。
振り返ると子ども生まれてからずっと、おんぶして出社したり、出産直後も産院の病室で仕事してたり…と、10年間さんざん仕事してきて、子どものことはもちろんかわいがってきたつもりだけど、ツケがまわってきたと痛感しました。
不登校の子を持つ友人が「小4ならまだ間に合うから」と泣きながら言ってくれたのもあり、子どもともっと向き合う時間を作れる生活にシフトすることにしたんです。
辞める覚悟で「フルタイムでの仕事は難しい」と会社に伝えたら、事情を汲んで特別に時短の制度を提案してもらい、条件とその気持ちがありがたく、その場での退職は思い止まりました。
でも、条件ではなくて、心からずっと続けていきたいと思える仕事をしたいと思っていて、実際動いてもいたんです。
そのタイミングで、たまたま彩さん(村本彩)とお茶する機会があり、「一緒に働かないか」と誘ってもらって。
家族も仕事も大事にしているirodoriチームの面々の働き方は素敵だと思っていたし、ブランディングという視点で私に新たな気づきを与えてくれ、そしてNBを通じて皆が行動の一歩を踏み出せている……そんな仕事に携われる喜びを感じました。
次の日には会社へ改めて辞めたいと伝え、半年間引き継ぎなど準備期間を経て2022年5月からirodori Brandingの社員になりました。
入社して感じている大変さとはどんなことでしょうか?
共通した想いを持つみんなで仕事することは本当に楽しいです!
ただ、彩さんや他のメンバーから「浩子さんはどう思う?」とよく聞かれるんですが、自分の思っていることを話すのが苦手で…。
これまで意見を言うことに慣れていたと思っていたけれど、それは経営層や上司などの誰かの想いをくみ取っての意見だったんですよね。
自分の内側から湧き出てくるものを、さらに面と向かって話すことが、自分にとってこんなにハードルが高いことだとは自分でも気づいていませんでした。
元々、自分の中で対話したり書いたりで終わりにしていたし、他者に対してもとりあえずテキストでメッセージを送って伝えたつもりになっていたんです。
でも、人と対峙して言葉を発して伝えることや、その後に生まれる非言語・言語のコミュニケーションを避けていてはチームとしていいものが作れないし、本当の意味でそのままの自分で仲間とつながっていい仕事する、というところまではいけないんだと、最近やっと腑におちてきて。
だいぶ慣れてきたところです(笑)
プランナーとして大切にしていることを教えてください。
現在、初めて担当した期が修了し、2期目がスタートしています。
プランナーとしては、いつもクライアントさんたちの可能性を信じる人でありたいと思って臨んでいます。
それぞれの存在そのものに価値があり、こんなにいいところ・ステキなところがあるのに、自分ではなかなか認められない…
そんな時、たった1人でもいい。
ずっと認めて信じて伝え続けてくれる人って、ありがたくて尊い存在だと思うんです。
私自身、最初の会社からずっとお世話になった上司が「ダイアモンドの原石だ。お前の力はこんなもんじゃないよ!」と信じて伝え続けてくれたからこそ、自分を信頼することができるようになりました。
だからこれまでも、チームメンバーや人事をしていた時に採用で出会った学生さんたちにも、私が感じた可能性や想いを常に伝えるようにしてきました。
例えその場で部下に真意が伝わらなくても、その学生さんが自分の会社へ来なくても、「あの時信じてくれた」ということが何年か経って支えになるかもしれないと思って。
クライアントさんたちにとってNBでの出会いが、人生の分岐点と言ったら大袈裟かもしれないけれど、ブランディングを通してその人にとって将来的な一助になったらいいなと思って、これからも可能性を信じて並走していきたいですね。
今後やっていきたいことについてお聞かせください。
irodori社にジョインして価値基準の変革がすごく起こっています。
幼少期の私は、好奇心旺盛で自分の興味あるものに猪突猛進して、いつも笑顔で天真爛漫な子だったようです。
でも、いつの間にか、成績や役割の肩書きやそれに対する評価に、自分の優劣を感じるようになり、それに振り回された結果、自分の価値観や好きなことさえよく分からなくなり、40歳手前にして「人生迷子」に陥りました。
でもirodori社では、「何かを足さなくていい、着飾らなくていい、そのままでいい」ということにこんなに価値があるのかということを体感しています。
そして、それには強さが必要ということも、それを表現という行動に変えていく大切さも。
これはブランディングという概念が教えてくれたことです。
私もまだまだ進行形ですが、自分が体験したこの価値を、プランナーとしてもまた新しい事業「ヒュッゲの森プロジェクト」でも、広げていきたいと思っています。