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【チームirodoriメンバー紹介Vol.2 横田啓好】努力と出会いでどん底から這い上がってきた若き頭脳派

irodori Branding代表の村本彩です。

私たちのチームには社員もいれば、自分の仕事を別にもっていて業務委託でjoinしてくれているメンバーも!

それぞれにどんな想いで、どんなスタイルでirodoriに集っているのか ーー。
1人ずつインタビュー形式でご紹介していきますね。

今日は、チームirodori唯一のメンズの横田好啓(たかみち)くん!

最若手ながらいい味出してくれてて、いつも頼りにしてます。

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irodori Brandingへ参画される前はどんなお仕事をされていたのですか?

大学を卒業後フリーターを経て、ITシステム会社で採用管理システムの導入・運用・管理を担うコンサルタントを経験、その後は記念日プロデュース会社で社長の側近秘書と新規事業マネージャーを兼務、2020年末に独立しました。

元々何かやりたいこともないし志がない自分が、就活のテンプレートに沿って、あたかも「夢があります!」と繕っていることに気持ち悪さを覚え、就活自体をやめた結果フリーターという選択に至りました。

その後、会社員になるきっかけは何かあったんですか?

特にきっかけがあったというより、当時年齢的にも経験的にも未熟だったので単純に「組織で仕事する」ことを経験していた方が、今後自分でビジネスをする時も広い視野で物事を見られると思ってのことです。「自分は組織で働くのは向いてない」とは思っていたのですが、空想ではなく実体験として学んでみようと
仕事はいろいろ探して「コンサルタント」という職種に目が止まり「ITコンサル」の会社へ入ってみたものの、バリバリの営業でした。

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結果重視で評価が決まるのがとにかく性に合わなくて
一度失注した会社へ、僕なりの切り口やアプローチの仕方を考え、再度営業して見事受注できたことがあったんです。
独自性や工夫といった過程を評価してほしかったのに「結果出てよかったよ、次からはもっと効率的に結果出せるといいね。」と言われて呆れました。

扱う商品に思い入れもないのにそれを先方へ押し付けているようで気分も乗らず、営業は向いていないなと感じました。

なんとか自分を奮い起たせて仕事をしましたが、どんどん辛くなるばかり。噛み合わなかったんです。ここは半年で辞めましたが、いい学びにはなりました。
やっぱり自分は自他関係なくその人らしさを大事にしたいし、自分の姿勢をごまかさず伝えていきたいと思いましたね。

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その後は、もともと細かいところをこだわる職人気質な部分があり靴職人を目指していた時期も。
お金を稼ぐために腰掛けとして記念日プロデュースをしている会社でアルバイトをしていたのですが、たまたま社長が見に来て、僕のことを買ってくれ正社員の誘いを受けました。
でも別にその会社が特別好きだったわけではなく、会社員になることを求めていなかったので断っていました。

当時アルバイトでも社長とは何度も意見交換させてもらって、喧々諤々の議論も
僕の意見はわかるが経営を知らないから言えるんだと言われたこともありましたね。

最終的にそこへ入社した決め手は、社長の熱意と「いろんな経験させてやるし、自分の横で経営の勉強をしたらどうだ。それを通して”お前が本当にやりたい道”を見つければいい。そこからでも遅くないから」と言ってもらったことです。

自分には人生を変えてくれた恩人が3人いるんですが、社長はその1人ですね。

社長の側近秘書として経営者の視点を学びながら、新事業の考案や既存の商品のリブランディング、業務改善なども担当しました。

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本当にいろいろやらせてもらったし、評価もしてもらったんですが、実は仕事が面白いまではいかなくて。

そのうち会社と僕個人の進みたい方向性にズレを感じるようになったんです。
社長とはその都度、時には取っ組み合いもしながら意見交換させてもらってきたのですが、最終的に、会社員として所属しながら同じベクトルで矢は引けないという結論に至りました。

辞めたいと話した時「3年はいてほしかったけど…そうだよね」とわかっていましたね。

社長からは「見捨てたわけじゃないし、見切りつけたわけじゃない。能力は十分かってるし、手放すつもりはない。」と。
今は外部の人間として事業に携わっています。

お互いを尊重し社員と社長以上の濃い関係だったと思いますし、今もそこは変わらないです。

会社員として一緒にいるのが最適解ではないというだけで、離れたからこそ協力し合える部分がたくさんあることを実感しています。

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今irodoriでプランナーとして活動しながら古巣の手伝いする時に感じるのは、自分は自分だと前より思えるようになったことですね。
自分がいいと思った最適解を気兼ねなく表現できるのが心地いいです。

個性や自分らしさは、子どもの頃から考えてきたんですか?

自分をそのままを認めてほしい気持ちは子どもの頃から強く思っていました。
「これが普通だから従う」ができず苦しかった子ども時代を過ごしてきたので。

具体的には父ととことん合わなかったんですよね。
田舎出身でお堅い仕事で、父母ともに若かったですし、父は自分の「これが正解」という意識が強い人でした。
兄は父が正解と思う学校の勉強が得意、妹は唯一の女の子でいるだけでかわいい。
一方の自分は、勉強はあまり得意ではなく遊びやゲームが得意。
得意なものが違っただけなんですが、父にはそれが許せなかったんでしょう。

ずっと「僕はこういう人、それを認めてよ」って思っていました。

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そこからどう這い上がってきたんですか?

中学生で親が離婚し父から解放されたと同時にしばらく非行に走りしました。あまり詳しくは書きませんが…たくさんの人も物も傷つけて今振り返ると愚かで歪んだ自己表現だったなと思います。

人との出会いで変わっていったんですね。

はい。出会いには本当に助けられてきましたね。中学の先生も恩人の1人です。

漫画に出てきそうな体格良くて怖い感じのいわゆるヤンキー先生で。

僕たちが悪さするたび追ってきて「お前らには可能性があるんだから自分の価値を下げるような勿体ないことをするな。」って力説するんです。

正直うざいと思っていたんですが、何回目だったか校長室に呼び出された時「お前は本当にこんなことしてて楽しいのか?」という先生の言葉でこんなことしたいわけじゃないと気づいたんですよね。

先生はさらに「お前は特にできるやつだ、可能性がある」と特別に目をかけ続けてくれて。

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進学できるかわからないほどだったのを合格可能性の高い受験先を探し、頼んでもないのに受験の面接対策もしてくれて、とにかく親身になってくれました。


先生のおかげもあり高校へ合格。
気持ちを入れかえてちゃんとしようと坊主頭にし、当時好きだったサッカーチームのロゴ入りバックを片手に登校したら、即サッカー部に勧誘されました。いかにもサッカー部入りそうな格好でしたがそんなつもりは全くなく…。

部の顧問も務める教頭先生と中学のヤンキー先生が元々知り合いだったこともあり、まぁやってみることに。

はじめは体動かないし最初はボロボロでしたがレギュラーになり3年ではキャプテンを任されました。

キャプテン時代は、チーム作りやマネジメントを実践で学んだ貴重な時間でしたね。

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最初はなかなかうまく行かなかったんですが、自分にしか作れないチームを作ってやろう!と切り替え、「弱小チームだとしてもこうありたい」とビジョンを伝え、あとは自分がボール拾いも居残り自主練も率先してやりました。


悔しかったり苦しかったりもありましたが、振り返るととにかく面白かったですね。
自己表現する・らしさをアピールできる機会と捉えるとワクワクして

引退時には後輩たちから惜しまれチームを変えられた手応えはありますが、もっとやれたことあったなとも思いますね。

大学でも恩人と出会われるんですね。

はい。やりたいことが特にない中なんとなく大学は行こうかと思っていたところ、とある先生に美術と数学が得意そうだから建築はどうかと言われ、建築学がある大学を探しました。
オープンキャンパスで魅力的な教授を見つけ、なんかおもしろい人だなぁ〜と思い進学先を決めて。

その教授が人生を変えた恩人の1人ですね。

とにかく情熱が半端ない。建築へのパッションがすごくて、好きなことに真正面から向き合う姿勢にかなり刺激を受けました

それに、とことん話を聞いてくれて返してくれる。
海外での研究経験もあり、外国のいいエッセンスも交えたくさん対話を重ねて。相手を受け入れる前提で対話する先生なので、話をしてて自分の個性が感じられるのが本当に嬉しかったですね。

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プランナーになったきっかけは?

元々は、ナチュラル・ブランディング(以下NB)実践講座には前職の研修として参加したんです。

当時、創業メンバーが主力として動いている中で、自分はいわば新しい風のような役割でした。

新規事業の企画や既存事業のリブランディングをする上で創造的な発想が得意なことは認められていましたが「より具体的な構築の仕方をお前も学んでこい」と、上司とともに講座へ。

NBで学んだことで机上の空論だったのがより具体的、計画的になったと思います。

その後2020年末に会社を辞める話をしたら、飲み仲間で今は同じプランナーのゆきこさんから誘われ、彩さんとも今後の方向性などじっくりお話する機会を経てプランナーになりました。

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プランナーとしてサポートする時にどんなことを心掛けていますか?

その人のペース、特徴、思考・感情の状態をよく観察し、その時々に合わせた時間とメッセージを伝えるようにしています。

時間というのは、考える時間ですね。

最終的には自分で自分にとっての最適解を導き出せるようになってほしくて。そうじゃないとずっと僕が必要になってしまいます。
プランナーはコーチに近いと思っています。
いいコーチはクライアントに「もうこの先は大丈夫です」と言われることだと思うので、自ら道を切り開くのをできるだけ早く体得してもらえるようなサポートを心がけてます。

最近嬉しかったのが「横田道場で学んだことを自分のものにしていきたい」「横田道場の門下生になれてよかった」と担当していた受講生の方たちからメッセージをもらったことです。
「道場」ってその道の型や精神を伝える場ですよね。昔から「守・破・離」と言われるようにまず型を守る段階を経ていずれは自分の道しるべを切り開く。僕はその土台を固める道場となることを目指してきたので手応えを感じますし、受講生の皆さんにはどんどん自分の道に進んでいってほしいです。

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ご自身の事業について教えてください。


事業コンサルタントとして主に前職の企業の新規事業のコンサルや構築のサポートをしています。

また個人向けに、自己実現に向けてのビジョン構築(在り方の明確化)から実際の計画・実行までを効率よく進むための「ビジュアライゼーションコーチング」をプランナーになる前にやっていて、今はお休みしていますが少しずつ再開したいです。

プランナーとご自身の事業と両方やることをどう感じていますか?

シンプルに楽しいです。
自分が個人で広げようとしてたコンサル、サポートがプランナーで問題なくできるなとも思ってます。

プランナーと個人事業の境目は特になくて、どちらも自分の得意なことをやらせてもらっていて、とても充実しています。

プランナーとしても個人でも、自分の足で未来を切り開ける力があると実感してもらうのを目指しています。

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irodori Brandingは自分の持っている価値観にかなり近いし、一緒にチームでやらせてもらっているのも心地がいいです。
メンバーも個性的でみんなが違う才能を持っているので刺激的で本当に楽しいですね。

今後やってみたいことってなんですか?

今はプランナーとしてもそれ以外の活動でも目の前のこと一生懸命やりたいですね。

そうするうちに新しい関わり方や活動の仕方が見つかっていくと思っています。

irodoriが発展していく中で新しい役割も担っていけたらと思っています。

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