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お役立ち情報

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村本彩とブランディング

部活のレギュラー落ちから学んだブランディングの大切さ

中学・高校時代はバスケ部でしたがプレースタイルでもこれといった特徴がなく、選手としての存在感がなくてレギュラー落ちした時期がありました。

ドリブルは下手だし、シュート率もそんなに高くない。そんな私がレギュラーになるためにはどうしたらいいのだろう?

散々悩み、考え抜いた結果、大好きだった漫画スラムダンクの桜木花道を見習い「技術」は関係なくてボールへの「執着心」だけ勝負できる

・リバウンド(シュートが外れたボールを取る)
・ルーズボール(転がっていったボールを拾う)

この2つだけは誰にも負けないようにしようと決めました。

自分のシュートが思うように決まらないのなら、自分が拾ったボールでシュートを決めてもらおう。

私が決めても、他のチームメイトが決めても、チームにとっては同じ得点。ならば私が得点の「起点」になる!と決めたのです。

自分を活かす「ポジション」が見えた瞬間でした。

そこからは何か吹っ切れたかのようにボールに喰らいつく日々。

すると、次第にそれが監督にも認められて「あのボールへの執着心は他の奴にはない」と再びレギュラーになることができたのです。

同じ「私」でも、どこにスポットライトを当てるかで輝き方は変わるのだということを初めて体感した経験でした。

福岡ドームのビール売り子NO.1になったポジショニング戦略

大学に入学後、すぐに始めたアルバイトが福岡ドームのビールの売り子。

歩合制のこのバイト、「頑張った分だけ成果が出る」「頑張れば1日で1万稼げる」という先輩の口説き文句に迷うことなく飛びつきました。

でも一方で待っているのは、自分から買ってもらえなければ一銭も入らないという悲惨な現実。しかも売っているのは皆、同じビール。

誰から買っても同じビールをどうすれば自分から買ってもらえるのか??まず、他の売り子とお客様の分析を始めました。

●体力で勝負していては男性には敵わない。
→ 売るエリアを絞り込んで体力消耗を防ぐ

●お客様は断然冷たいビールが飲みたい!
→ 時間のロスはあるけど小さな軽い樽をこまめに変える

●野球観戦はワイワイ見たほうが楽しい!
→ お客様との会話をとことん楽しむ

こう分析した結果・・・

「ビールだけじゃなくて楽しい時間をくれる、愛嬌あるオネーちゃん。しかもオネーちゃんのビールは冷たくてうまいっ!」

というポジションを狙うことを決めると、この作戦が見事にハマり、なんとその後何度も売上NO.1になることができたのです。

自分を知り(Company)
競合を知り(Competitor)
お客様を知る(Customer)

まだマーケティングも知らない大学生だった私が、最初にやった3C分析でした。

異常値づくりの虜となった営業時代

サントリーホールディングス(株)に入社後、最初に配属されたのは首都圏のスーパーへの営業でした。

角瓶のジャンバーを着て、免許取り立てホヤホヤながら営業車を運転して1軒1軒スーパーに営業に回る日々。

商談するだけではなく、実際に自分で何十ケースと商品を陳列し、自分で売り場を作るところまでやっていました。

当時の上司から言われた「モノが売れるのは、商品力と宣伝力と営業力が掛け合わさった時や。」という言葉を自分なりに解釈し、掛け算なのだったら、イマイチ売れない商品も私の企画力(売り場の宣伝力)と営業力で売れる商品に変えてみせようではないか!と手書きスケッチでオリジナル企画を商談に持っていったのが始まりでした。

その企画によって、商品の売上が通常の50倍以上に跳ね上がったのです。

「どんなに良い商品であっても、ただ並べているだけでは売れないんだ」ということ目の当たりにします。

そこから、営業時代は売上の異常値を作る虜となりました。

仕事の意義を思い出させてくれた忘れられないブログ

入社時から希望していたマーケティング部門へ熱烈アピールを続けて念願のブランドマネージャーになったのが入社4年目のことでした。

特に長く担当したのは缶カクテルのブランド。カクテルは商品ラインナップも多く、また季節限定品も毎月のように発売するため怒涛の開発を繰り返す日々。

その担当ブランドで大きなリニューアルを控えた前週に東日本大震災が起こりました。

もちろん発売延期でCMも交通広告も1年半かけて用意してきたものは全て打ち切りに。

それを悲しいなんて言ってるような状況ではもちろんなく、多くの命が失われ、水や食料など命に関わる生活必需品さえ足りていないという非常事態を目の当たりにして「お酒は必要なのだろうか?」「誰の役に立っているのだろうか?」と仕事の意義が分からなくなった時がありました。

そんな時、たまたま出稿を止められずに出た唯一の交通広告を見た方がブログにこんな言葉を書いてくれていたのです。

「震災以来、こんなにキラキラした映像や画像を全く見ていなかった。美しいもの、キラキラしたもの、明るいものに触れることで人の心に光が差すこともあるんだな。(原文そのまま抜粋)」と。

私の仕事で、元気になってくれた人がいたんだ・・・と涙が出るほど嬉しかった、忘れられないブログ。

お酒はなくても生きていける。でも、お酒がある時間は楽しくて、なくなるとちょっと淋しい。そんな人生が豊かになる時間を提供していくんだと、改めて自分の仕事に誇りを持ち、覚悟が決まった瞬間でした。

大好きだった会社を卒業して、起業に至るまで

第1子を出産し育休を経て復職した時に、入社時からずっとやりたいと言い続けていたゼロからの新ブランド立ち上げを任せてもらいました。

開発したのは「酔うために飲むのではなく心をほぐすために飲む、忙しい大人のためのお酒」というコンセプトのアルコール度数1%のお酒。

この商品を開発するために入社したんだ!と思えるくらい強い想いを持って開発しましたが、販売が伸びずあっという間に終売に・・・。

その後も新ブランド開発に携わらせてもらうもののもっと視野を広げて自分の引き出しを増やす必要があると感じ、第2子の育休中にはキッズラインの育休インターンなど社外の方と多く関わる機会を作るように。

そこで出会ったのは、部署異動のように軽やかに転職を繰り返している人や、起業して個人でビジネスをしている人だったのです。その姿は、「次はどの部署に行こう?」という社内でのキャリアビジョンしか描いていなかった私にとって、まさに雷に打たれたような衝撃でした。

「選択肢は自分が思っているよりずっと、たくさんあるんだ!」

そこから、一人の女性として、母として、妻としてどうありたいかを考え抜いて散々悩んだ結果、出した結論が「大好きだったサントリーを卒業して個人で働く」という新たな道でした。

そして現在は、個人起業家や法人向けにブランディングを中心としたマーケティングのコンサルティングを行っています。

サントリーでブランドマネージャーをやっていた時も本当に仕事が好きで「この仕事は天職だ!」とずっと思っていたのですが、会社を辞める時点ではまさかブランディングの仕事を個人でやってていくとは思っていませんでした。

でも、何かに導かれるように形を変えて再びブランディングの仕事をやるようになり、あぁやっぱりこの仕事は天職なのだなと思っています。

「ブランディング」はマーケティングの軸となるものであり、ここに取り組むことでビジネスの成長は大きく変わります。

でも中小企業や個人ビジネスでは、まだまだブランディングの必要性が知れ渡っていません。

「人もモノもサービスも、生まれたものには必ず意味がある。輝く場所がある。」

という想いを胸に、ブランディングの伝道師となって「もったいない」をなくしていくというのが今の私の使命です。